石野のプロフィール

皆さんこんにちは!
数学プログラミングをこよなく愛する石野です^^

本名、石野博之
1989年生まれの男性です。
千葉県出身の千葉住まいです。

地元の神社です

オンライン学習サイトUdemyにて数学・統計学の講師をはじめ、現在500名ほどの受講生さんがいます^^
以下のプロフィールを読んでもらえれば、石野の幼少期から現在までの全てを知ることができます!
最後には「今後のビジネスの動向」なども記載してあります!

小学生時代の石野は何もできないダメっ子だった?!

小学校低学年の時は本当になんの取り柄もない子といった感じでした。
運動もできない勉強もできないでダメダメ。
特に足がかなり遅く、なんと女子を含めてクラスで一番遅かったのです…。
劣等感がすごく、小学生ながら「なんて自分ってダメなんだろう」という思いが常に強くありました。

 

当時大流行したあのゲームをやりまくる!

ただ、毎日好きなことをやっていたので、充実感はありました。
当時流行っていた「ポケモン」をひたすらやってたんです。

ハマり具合は半端じゃありませんでした。
クリアした後も最初からにして、何回クリアするんだってくらいに何度もやり込んでたのです。
なので何かに熱中すると、とことんやり込みたくなる!という性格のはこの時からあったんですね笑

野球を始めるも…まさかのイジメの標的に…

自分が大きく変わり始めたのは小学4年生の頃でした。
一大決心して始めた少年野球。
しかし、運動が下手な自分に待ち受けていたのは「イジメ」。

気持ち悪い奴だなと何度も言われたり、仲間外れにされて、いつも一人ぼっちでいました。
ここで外交的だった性格が内攻的になり、極度の人間不信に…

【ボッチの石野 根性を見せる!】

ただ、自分がやりたいといって始めた野球。

この程度のことで辞めてたまるかと思い、練習も必死に取り組みました。

少年野球がない時でも自主的に練習を行い、段々と野球が上手くなっていくのを実感できました

少年野球を卒業するとき 監督に言われた衝撃の一言とは…

小学生の時はずっと補欠でしたが、少年野球を卒業した時に言われた監督の
言葉が今でも心に残っています。

その言葉は、

お前がチームで一番成長したよ

というもの。

その時、監督の前で号泣したのを今でも覚えています。

この言葉を受けて、「自分でも頑張れば成長できる」という自信が付きました。

ちなみに野球は中学まで続けました。

遅かった足も、チームで1、2を争うくらいに速くなり、
中学最後の総体はレギュラーとして出場。
チームは残念ながら初戦で敗退してしまいましたが、毎日野球に必死に取り組めたことは
自分の貴重な財産となりました。

また、一芸に秀でることの重要性も学びました。
自分の場合だと足が速かったのでレギュラーになれたと思っています。

バッティングは全然でしたが、何か一つでも魅力があれば、それを活かして生きていくことも可能ではないかと思いました。
それは仕事でも同じことなのかと思っています^^

小学生時代の成績がヤバかった…。

一方、勉強の方ですが、小学生の時は全くといっていいほどできませんでした笑

野球と違って、勉強はこのままでいいやという慢心さえありました。

今ではサイトで数学の講座を販売したりしていますが、小学校時代、
通知表で算数は最高評価の3を取ったことはありませんでした笑

ちなみに唯一毎回3の成績をもらえていたのは図画工作のみ^^;

中学に入学して早々に先生から言われた衝撃の一言!

勉強の方も頑張り始めたのは中学校に入ってからです。
きっかけは、クラスで書記を務めたときに全く漢字が書けなくて、

先生に「石野くん、それじゃあ高校行けないよ…」と言われてしまいました。

これには流石の自分も「マジ?!((+_+))」と思いました。
高校行けなかったらどうしようとかなり悩み、ここでやっ~~~と勉強に火が着いたんです

本当に出来損ないだった石野 覚醒する!

ですが、勉強するにも基本がわからない!!
中学生にもなって、分数の足し算がわからなく、母親に習っていました。

わからないことがあれば、母親に教えてもらうを繰り返す毎日。
そして来る日も来る日も、勉強は寝る前までしていました。

中学生の頃は、遊んだ記憶がないくらい勉強していたと思います笑

最初はひどかった成績も、学年でトップに。
一番うれしかったのは、中学3年生の時に受けた実力テストで学年トップを取れた時でした。

過去の自分を思い出すと本当に実力が付いたんだなと思えました。

そこまで勉強できた根源は負けず嫌いなところにあったと思っています。野球でもそうでしたが、
自分に少し自信が付いてくると、もっとできるもっとできると思うところが自分にはありました。
とにかく周りに負けたくなくて、必死に勉強したのが成果に結びついたと思っています。

トップから急落!高校受験でのミス

その時から、高校は地域で一番のところに進学しようと思い始めました。
とにかく勉強しないといけないと思った自分は野球部を引退した後、
夜は深夜2時まで、朝は早起きして学校行くまで勉強するを繰り返すように。

今思うと、それはしてはいけないことだったのかもしれません。

高校受験当日。
自分はだれよりも勉強したし、落ちるわけないと自信を持っていました。

ただ、頭はぼんやりして、受験当日はまさかのミス連発…
歴史の年号を覚えるだけ覚えたのに、年号関連のところの問題を間違えたり、
数学の最初に出てくる簡単な問題を間違えたり。結果、第一志望だった公立の高校には
落ちてしまいました。

帰り際はあんなにやったのになんで…という思いばかり。
大学は絶対第一志望のところに行ってやると心に誓いました。

それでも這い上がる石野

公立高校に落ちた自分は、私立の高校に進みました。
勉強に集中するため、部活には入らず、ひたすら勉強しようと決心。

高校一年生の時にあった全4回の定期テストでは全てクラスでトップを達成。
学年でも10番以内に入っていたので、第一志望である国立大学に行けると、そう思っていました。

しかし、人生はそう上手くいかないものです…

病気でメンタルがやられてしまう…。

自分の人生はまたもここで急変。
なんと病気を患ってしまいます。

病名は「強迫性障害」。

簡単に言うとあらゆることが気になって仕方なくなる病気です。
発症の原因は勉強のし過ぎにあったと思います。

当然のように毎日深夜まで勉強をしていて、かなりのストレスが溜まっていたのと、
すべてを完璧にしなければいけないという思考がこの病気を招くきっかけとなりました。

自分の場合は、刃物を突き付けられているイメージだったり、
体の色々な部分がどんどんずれていくといったようなイメージが頭から離れなくなりました。

それが一日中続き、常に恐怖が襲ってきたのです。

学校から帰っても、疲れ果ててしまっているのですぐに寝てしまう生活が続きました。

気がつけば勉強もできなくなり、第一志望に合格するにはとても厳しい成績に。
家でほぼ寝たきりの状態は高校を卒業するまで続くことになります。
大学はどうしても行きたかったので、祖父母の家から徒歩10分ほどで行ける大学に進学することにしました。

病気持ちの石野 果たして大学を卒業できたのか?!

大学に進学するにあたり、今の状態では大学を卒業できなくなるだろうと考え、薬を飲み、かつ心理カウンセリングを
受けながら大学に行くことに。

病気に対して色々な対策を取っていくことで、何とか大学には通えていました。

ただ、大学が近くなかったら卒業できなかったなと、今になると思います。
大学では元々好きだった数学プログラミングを専攻していました。
病気のこともあり、なんとなくで選んだ学科でしたが、
今考えると最高の2つを専攻できたなと思っています。

大学はなんとしても卒業したかったので、自分のできる範囲で一生懸命勉強しました。
時には疲れ果てて寝込んでしまうこともありましたが、何とか4年で卒業

薬物療法とカウンセリングで病状が徐々に良くなっていきました。
ただ、中々完治までには至らなかったです。

石野 就職するも毎日ガクブル生活…

その後、大学3年生の時に就活を初めてIT系の3社から内定をいただきました。

その中から1社選んで就職。
ただ、そこは結構体育会系のところで、上下関係は厳しかったです。

先輩の機嫌を損ねると怒られるので、毎回ビクビクしながら質問をしていました。
定時で帰る人は少なく、大体の人が毎日残業をしていたと思います。

1年ほどたった時には質問しなくても一人でプログラミングを行えるようになり、成長を実感できました。
その企業にはちょうど2年在籍。
続けたいという思いが強かったのですが、残業続きで持病が悪化してきてしまったので、退職することに。

石野 仕事辞めたってよ…からの??

また正社員として就職しても、同じように辞めることになってしまうと考え、とりあえず学生時代にアルバイトしていた塾で
再度、アルバイトとして働くことに。

そこの塾はシステムが全く導入されておらず、すべて手作業で事務処理を行っていました。

「なんかすごく非効率なことをしているな…」と感じた僕は、得意のプログラミングでシステム化を試みました。

講習のスケジュールの作成や、生徒の座席配置表の作成など、自動化できるところはなるべく自動化。
生徒の座席配置などは適当に配置すれば簡単だろうと思われると思いますが、兄弟や親しい友達を近くの席にすると
お喋りしてしまうので、離さなければいけなかったりと、色々な条件がある中での作成だったので、かなり頭を悩ませました。

どのシステムもあっさりできたというものはなく、かなり考えてやっとできたという感じ。
それだけ設計は大変なのだなと思いました。

新卒で入った企業では先輩が作成した設計書をもとに、ただプログラミングをしていただけだったので、設計まで含めるとこんなにも大変なのかと思いました。

元々、何時間もかかっていた作業を一瞬で完了させられるまでになり、教室長にはとても感謝されました。

その時とてもうれしく、やってよかった!!!と大満足。
その思いは新卒で入った企業では味わうことがなかった思いでした。
また、ダメもとでも自分から提案してみることの大切さも学びました^^

知識をさらにアップデート!

ちょうどこの塾で働いていた時に、機械学習やデータ分析などが注目されてきていて、自分もそういったことをやってみたいという
思いが芽生えてきました。

ただ知識がなかったので、勉強しなくてはいけないと思い、データ分析に必要な統計学を独学することに!

何冊もの本を読みあさり独学で勉強。
その後、統計学を活かしたデータ分析の仕方などの知識も本から得ました。

石野 新たな挑戦!約500名の生徒を持つ講師へ!

プログラミングに留まらず、データ分析してみたいと考える人はたくさんいるのではないかと思い、そういった人たちに向けて、
自分の知識を伝えていきたいと思うように。

Udemyにて数学・プログラミングの講師をはじめ、まだコースの数は少ないですが、500名ほどの受講生さんがいます^^

コース動画を作ったり、教えていったりするとなると、深く理解していないとなかなかそこまでできないので、
改めて勉強しないといけないことも多かったです。実際、本やネットでかなり勉強をしました。

受講生さんからはたくさんのご質問をいただきました。
わかりやすいと言って頂けることもありましたが、受講生さんの中にはとても厳しいご意見をくださる方も。

沢山の様々な声を頂き、講義内容は常にブラッシュアップしていってます。

これからもデータ分析、統計解析、機械学習などの分野は伸びてくると思うので、たくさんの人にその良さを知っていただいて、
学習し、多方面でその知識を生かしていただければと思っています!

今までの人生を振り返って…

ここまで読んでいただきありがとうございます^^

振り返ってみると、自分はまだ30年ほどしか生きてはいませんが、喜びや悲しみ、たくさんのことを味わってきたと思います。
上手くいかないことだらけで辛いと思うことも多々ありましたが、その中でも学べたことはたくさんありました。

人生努力してもうまくいかないこともあるし、人生何が起こるかわからない。
ただ、努力しなければ成功することは出来ないと思っています。

何が起こるかわからない一度きりの人生だからこそ、
思い切って挑戦することも大切なのかなと思っています。
なので自分は挑戦し続けたいと思っています!

このプロフィールを読んでくださった皆さんの中に、少しでも挑戦していく大切さが伝わってくれたらうれしく思います。

今後のビジネスの動向は?!

今、ITの分野に注目が集まっています。
YouTubeを見ていてもIT系で活躍さている方がたくさんいるんだなと感じています。

ITは今後もどんどん伸びます。
小学生のうちからプログラミングの授業が必修化されるようになるなど、本当にそういう流れになって
いるんだなと強く感じています。機械学習やデータ分析ができる範囲の可能性は無限大です

本当に誰もが予想もしないようなものを作る人が今後出てくると思います。そういうまだ未知の部分に関わる方が少しでも増えてくれればと思っております^^